若手育成プログラムから常設歌手団〈troupe lyrique〉へ。回復とともに始まった、新たなキャリア
By The Aria Times 編集部
1. イラナ・ロベル=トーレスとは
Ilanah Lobel-Torres(イラナ・ロベル=トーレス) は、 ニューヨーク出身のソプラノです。米ボストンのニューイングランド音楽院で学士号を取得し、 ニューヨークのマネス音楽院 で声楽の修士課程を修了したのち、 2019年に Opéra National de Paris(パリ国立オペラ)アカデミー の Young Artist Program(若手アーティスト育成プログラム)に参加しました。
パリでは オペラ バスティーユ や ガルニエ のほか、レバノンやフランスの他の都市 などへのツアー公演にも出演し、研修生の枠を超えた実務的な経験を重ねています。

2. 若手プログラムからレジデント・アーティストへ
ロベル=トーレス は 2019年9月に Young Artist Program に参加しましたが、 最初のシーズンを終えた直後、2シーズン目が始まる数日前に 発症例の少ない白血病 と診断されました。 治療のためにすぐニューヨークへ戻り、6回の化学療法 を受けることになります。
2021年に寛解が確認され、その約半年後には再びパリに戻り、 Young Artist としての期間を 2022年6月に修了しました。 その後はパリ国立オペラで バルバリーナ(『フィガロの結婚』)、 ピーター・グライムズの「Second Niece」 などの役を務め、 現在は、若手〜中堅歌手で構成されるパリ国立オペラのtroupe lyrique(常設歌手団/レジデント・アーティスト枠) の一員として活動しています。
◆ レジデント・アーティストとは
ここでいう Resident Artist(レジデント・アーティスト) は、 フリーランスとして単発契約を結ぶ形とは異なり、 一定期間その劇場に所属しながら
- 連続した公演への出演(主役・準主役・カバーなど)
- 専属コーチによる継続的な指導(歌唱・言語・演技など)
- 劇場の制作・演出チームとの長期的な関係構築
といった機会を得られるポジションです。 若手歌手にとっては、プロとしてのキャリアを固めるうえで 重要なステップといえるでしょう。

3. 病と診断されたとき
OperaWire の Q&A インタビューでは、ロベル=トーレス が闘病中・復帰前後に何を考えていたのかが語られています。 診断を受けたときの心境について、彼女は次のように振り返っています。
“The first thing that came to my mind was a concert the following week. Singing is an integral part of who I am.”
「診断を受けたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、 翌週に予定していたコンサートのことでした。 歌うことは、私という人間の本質そのものなのです。」
― Ilanah Lobel-Torres(OperaWire インタビューより)
また、家族に「パリに戻る」と話したときのエピソードも印象的です。
“When I told my family I was going back to Paris, they looked at me like it wouldn’t happen. I was sure I would.”
「家族に『パリに戻るつもりだ』と話したとき、 みんなは『本当に戻れるの?』という目で私を見ていました。 でも私は、『私は必ず戻る』と信じていました。」
― Ilanah Lobel-Torres(OperaWire インタビューより)
これらの発言からは、「病気になった歌手」という受け身の立場ではなく、 あくまで自分のキャリアを主体的に取り戻そうとする姿勢が読み取れます。

4. リンパ腫の治療と歌手としての影響
ロベル=トーレス さんが診断されたのは、 まれな形のリンパ腫(lymphoma) で、 記事によれば 6ラウンドの化学療法 が行われています。 医療的な詳細は公開情報の範囲にとどまりますが、 一般的に、がん治療と声楽には次のような影響が考えられます。
- 体力・持久力の低下: 長時間の稽古や上演を支えるだけのスタミナを回復するには時間がかかります。
- 呼吸機能への影響: 全身状態の悪化や筋力低下により、ブレスコントロールに影響が出る場合があります。
- 粘膜・声帯まわりへの負担: 一部の治療では、喉や口腔内が乾燥しやすくなったり、炎症を起こしやすくなることがあります。

そのため、多くの歌手は治療後すぐに元のレパートリーへ戻るのではなく、
- 短時間・軽めの発声から再開する
- 音域を少しずつ広げていく
- レパートリーも負担の少ない役から段階的に戻す
といったプロセスを踏みながら、声と身体の両方を再構築していきます。 Lobel-Torres さんも、寛解後に半年ほどの時間を経てパリへ戻り、 若手としての期間を終え、現在のレジデント・アーティストに至っています。
5. 国際的な活動
OperaWire の記事によると、 ロベル=トーレス はパリでの活動に加えて、 アメリカの Santa Fe Opera(サンタフェ・オペラ) でも
- ドヴォルザーク《Rusalka(ルサルカ)》:First Nymph(ニンフの一人)
- モンテヴェルディ《L’Orfeo(オルフェオ)》:Proserpina(プロセルピナ)のカバー
を務める予定と紹介されています。 ヨーロッパのメジャー劇場を拠点としながら、 北米の有力夏のオペラ・フェスティバルにも出演しており、 今後の国際的な広がりが期待される若手の一人です。

6. 最後に
ロベル=トーレスは、単に「病気を乗り越えた歌手」というだけではなく、 次のような点から、今のうちに名前を押さえておきたい存在だと感じます。
- パリ国立オペラの Young Artist Program 出身であること
─ メジャー劇場による体系的な育成を受けたバックグラウンド。 - レジデント・アーティストとしての所属
─ 単発出演ではなく、劇場側が継続的に起用し育てているポジションにいること。 - がん治療後もキャリアを前進させていること
─ 活動を中断せざるを得ない状況から、研修修了・主要役・国際公演へと進んできたプロセス。 - 世界の主要歌劇場で活動していること
─ パリオペラ座だけでなく、アメリカのサンタフェオペラでも出演が決まっている。
The Aria Times としては、 「ドラマチックな人生の物語」として強調しすぎるのではなく、 パリ国立オペラという劇場の中でどのようなステップを踏み、 どのように国際的なキャリアを築きつつあるのかという キャリアパスの一例としても注目していきたいアーティストです。

7. 出典・参考リンク
OperaWire – Q & A: Soprano Ilanah Lobel-Torres on Her Cancer Journey & Return as a Young Artist
OperaWire – Q & A: Ilanah Lobel-Torres on What Inspires Her Most as an Opera Singer


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