声は完璧、演出は賛否―社会派コンセプトが生んだ「悲劇の希薄化」

2025年10月上旬、ミラノ・スカラ座(Teatro alla Scala)で上演された《リゴレット》のリバイバルが、クラシックファンやオペラ誌、SNS上で大きな議論を呼びました。
主演には世界的バリトン、アマルトゥブシン・エンフバット(Amartuvshin Enkhbat)。指揮はマルコ・アルミリアート。
音楽的には完璧と評される一方、演出のマリオ・マルトーネ(Mario Martone)による“終幕改変”が物議を醸しています。

歌唱と音楽 ― キャストは圧巻の歌唱力
まず音楽面は圧倒的でした。
エンフバットのリゴレットは、
「強靭で気品ある声」「完璧なテクニック」「深い表現力」
と国際誌 Bachtrack や OperaWire がともに絶賛。
ジルダを演じたレグラ・ミューレマン(Regula Mühlemann)も透明感あるリリック・ソプラノで、アリア「Caro nome」が特に美しく大絶賛。
アルミリアートの指揮も、歌手の呼吸を活かした安定のヴェルディ解釈。
つまり、「歌手も指揮も非の打ちどころなし」という高水準の上演でした。

演出 ― 「社会派」読み替えの是非
一方で、議論を呼んだのがマルトーネ演出。
彼は本作を「権力」「貧富格差」「暴力」といった現代社会のテーマに置き換え、社会派的な切り口を全面に打ち出しました。
舞台は現代的な富裕層のパーティー会場やスラムを行き来し、光と影、実際の雨、映像効果なども駆使。
視覚的な迫力は抜群でしたが、結果的に――
「コンセプトの強さ > 登場人物のドラマ」
という構図になってしまったと多くの評論が指摘しています。

終幕の改変 ― 悲劇の核が変わってしまった
最も賛否が分かれたのは、終幕の改変です。
本来のヴェルディ版では、
「リゴレットの“呪い”が自らに返り、最愛の娘ジルダが犠牲になる」
という構図が悲劇の核心かと思います。
しかし今回の舞台では、
- 公爵の殺害、
 - 複数の死体の残骸、
 - 流血のシーン、
 
といった暴力的映像で“被権力の反撃/暴発”を象徴する展開に。
その結果、「ギルダの悲劇」がぼやけてしまったのです。
OperaWire は厳しくこう評しています:
「ヴェルディの作り上げた悲劇の本質が壊された」
演出が主張しすぎて“声”がかすむ瞬間も
舞台美術・照明・映像のインパクトは確かに圧巻でした。
しかしその分、歌唱や芝居の繊細なニュアンスが見えにくくなる瞬間も。
エンフバットのリゴレット像は、声としては完璧でありながら、
「演出がその内面を生かしていない」「彼のリゴレットが演出に縛られて見える」
と指摘されました。

💬 SNS・評論界での論点
- 「歌唱が完璧なのに、なぜストーリーを変える必要があったのか?」
 - 「ヴェルディ作品は“人間ドラマ”が核心なのに、コンセプト演出がその魅力を薄めた」
 - 「音楽と演出のバランスが取れていない」
 - 「これは“演出家のオペラ”なのか、“歌手のオペラ”なのか?」
 
つまり、今作を通して再び問われたのは、
“声=舞台=演出”のどれを主軸にすべきか?
という、オペラ界の根本的なテーマでした。

© Brescia e Amisano | Teatro alla Scala
まとめ ― コンセプトと感情のせめぎ合い
スカラ座《リゴレット》2025年版は、
「音楽的完成度の高さ」と「演出コンセプトの強さ」の両極が激しくぶつかり合う上演でした。
歌唱・指揮・音楽面は間違いなく一級品。
しかし、社会的メッセージを前面に出した演出は、
悲劇の核心である「父と娘の純粋な愛」を弱めてしまったと言えます。
オペラが「時代を映す芸術」である以上、この問いはこれからも続きそうです。
参照リンク
- Bachtrack – Review: Rigoletto (La Scala, October 2025)
 - OperaWire – Review: Teatro alla Scala 2024-25 Season, Rigoletto
 - Teatro alla Scala – Official Season Page
 
画像クレジット
© Teatro alla Scala / Press Office
Photo: Brescia & Amisano
※掲載画像は公式プレス素材または広報提供によるものです。


			
			
			
			
			
			
			
			
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